2019年05月21日
新しいブログのお知らせです♪
はやいもので、引っ越してから、
ひと月半がたちました。
私にとっては、
子供の頃遊んだ山にほど近い場所でもあるので、
右も左もわからない、
ということはないのですが、
ヌウにとっては、
それこそ、右も左もわからない土地。
なので、少々不安なところもありましたが、
当のヌウは、
そんなのどこ吹く風。
毎朝、元気に家を出ていき、
楽しい高校生活を送っています♪
引っ越した当初は、
片づけやら、畑の整備やらなにやらで、
大忙しでしたが、
まだやらなければならないことは山積しているものの、
とりあえずは、一段落。
というわけで、
新天地での農や、生活を綴るブログ、
「いのちが集い、あふれる農園を目指して」
を始めましたので、
よろしかったら、下記URLよりご覧いただけたらと思います。
(https://nuutetu.eshizuoka.jp/)
今までと同じような感じで書いていこうと思いますので、
よろしかったら、今後ともお付き合いの程、
よろしくお願いいたします。
ひと月半がたちました。
私にとっては、
子供の頃遊んだ山にほど近い場所でもあるので、
右も左もわからない、
ということはないのですが、
ヌウにとっては、
それこそ、右も左もわからない土地。
なので、少々不安なところもありましたが、
当のヌウは、
そんなのどこ吹く風。
毎朝、元気に家を出ていき、
楽しい高校生活を送っています♪
引っ越した当初は、
片づけやら、畑の整備やらなにやらで、
大忙しでしたが、
まだやらなければならないことは山積しているものの、
とりあえずは、一段落。
というわけで、
新天地での農や、生活を綴るブログ、
「いのちが集い、あふれる農園を目指して」
を始めましたので、
よろしかったら、下記URLよりご覧いただけたらと思います。
(https://nuutetu.eshizuoka.jp/)
今までと同じような感じで書いていこうと思いますので、
よろしかったら、今後ともお付き合いの程、
よろしくお願いいたします。
2019年03月04日
別れと出会いの春
前回の日記が、2016年9月でしたので、
そこから2年と半年が過ぎました。
大変ご無沙汰しており、また、
ご心配もおかけしてしまい本当に申し訳ありませんでしたが、
かんちゃん、ヌウ、私とも、変わりなく、
元気でなんとか暮らしております。
もっとも貧乏暇なしなのも、
”変わりなく”なのですが、ははは。
そんな”変わりなく”の、2年と半年。
しかし、ここ小堀谷の環境だけは、
”かわりなく”どころか、
まさに、激変と言っていいほどの転機が生じた、
2年半でもありました。
この地の生態系を、
この地に暮らし、生を繋いできたいのちを、
根底から揺るがしかねない、
そんな、転機。
それを知った時には、
愕然となり、それに対して、
徹底して反対したわけですが、
結論から言えば、
多勢に無勢、
砂浜の一粒の砂のごとき一個人では、
どうしようもありませんでした。
ただし、その転機、
すなわち、
人間による生活活動のための自然破壊なのですが、
徹底して反対したとはいえ、
その建築物によって、
私自身が少なからず恩恵を受けているということ、
そして、仮にこの地に建設されなかったとしても、
変わりに他の地で、同じことがおきていたということを考えると、
私自身にもその責任、
すなわち、
暮らす生き物たちの生活を、いのちを奪うという行為に対する責任の一端がある、
ということになります。
それに対して、
自問自答を重ねた、
そして、
納得できる答えが今もって見つからない歳月でもありましたが、
ただ一つ、決めたことがあります。
それは、
この3月をもって、この地を離れる、
ということ。
この里山に暮らす生き物たちと話すことができるならば、
「えっ、お前、それは自分勝手すぎるんじゃないか」
と、彼らから言われることであると、
重々承知してはいるのですが、
私には、
この結論しか導き出すことができませんでした。
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
田中正造
中学生の時知ったこの方の、
この言葉の意味が、意図するところが、
今、ようやくわかったように思います。
この頃、晩になると、
裏山から、フクロウの鳴き声が聞こえてきます。
森の賢者は、今何を思い、
何を感じるのか。
責任の一端があるにもかかわらず、
この地を離れる私が言えた言葉ではないですが、
でもでも、
彼らには、少しでも長くこの地で暮らし、生を繋いでいってほしいと、
心から願わずにはいられません。
引越し先は、静岡市葵区になります。
私が小学生の頃、虫やなにやらを追いかけ、
駆け回った神社の裏山、
その山懐に、その家はあります。
築100年以上になる農家の古民家と納屋、
そして、畑。
土地は変わりますが、
でも、畑に集う生き物たちが主役で、私が裏方という関係は、
今までと同じ。
そこに集う、まだ見ぬ彼らと一緒に、
そして、
今まで共に頑張ってきた野菜たちと一緒に、
引き続き、農を紡いでいきたいと思います。
引越しが完了しましたら、
タイトルを変更の上、
ブログを再開しようと思いますので、
よろしかったら、またご覧いただけたらと思います。
毎回、長ったらしい文にもかかわらず、
今までお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。
そこから2年と半年が過ぎました。
大変ご無沙汰しており、また、
ご心配もおかけしてしまい本当に申し訳ありませんでしたが、
かんちゃん、ヌウ、私とも、変わりなく、
元気でなんとか暮らしております。
もっとも貧乏暇なしなのも、
”変わりなく”なのですが、ははは。
そんな”変わりなく”の、2年と半年。
しかし、ここ小堀谷の環境だけは、
”かわりなく”どころか、
まさに、激変と言っていいほどの転機が生じた、
2年半でもありました。
この地の生態系を、
この地に暮らし、生を繋いできたいのちを、
根底から揺るがしかねない、
そんな、転機。
それを知った時には、
愕然となり、それに対して、
徹底して反対したわけですが、
結論から言えば、
多勢に無勢、
砂浜の一粒の砂のごとき一個人では、
どうしようもありませんでした。
ただし、その転機、
すなわち、
人間による生活活動のための自然破壊なのですが、
徹底して反対したとはいえ、
その建築物によって、
私自身が少なからず恩恵を受けているということ、
そして、仮にこの地に建設されなかったとしても、
変わりに他の地で、同じことがおきていたということを考えると、
私自身にもその責任、
すなわち、
暮らす生き物たちの生活を、いのちを奪うという行為に対する責任の一端がある、
ということになります。
それに対して、
自問自答を重ねた、
そして、
納得できる答えが今もって見つからない歳月でもありましたが、
ただ一つ、決めたことがあります。
それは、
この3月をもって、この地を離れる、
ということ。
この里山に暮らす生き物たちと話すことができるならば、
「えっ、お前、それは自分勝手すぎるんじゃないか」
と、彼らから言われることであると、
重々承知してはいるのですが、
私には、
この結論しか導き出すことができませんでした。
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
田中正造
中学生の時知ったこの方の、
この言葉の意味が、意図するところが、
今、ようやくわかったように思います。
この頃、晩になると、
裏山から、フクロウの鳴き声が聞こえてきます。
森の賢者は、今何を思い、
何を感じるのか。
責任の一端があるにもかかわらず、
この地を離れる私が言えた言葉ではないですが、
でもでも、
彼らには、少しでも長くこの地で暮らし、生を繋いでいってほしいと、
心から願わずにはいられません。
引越し先は、静岡市葵区になります。
私が小学生の頃、虫やなにやらを追いかけ、
駆け回った神社の裏山、
その山懐に、その家はあります。
築100年以上になる農家の古民家と納屋、
そして、畑。
土地は変わりますが、
でも、畑に集う生き物たちが主役で、私が裏方という関係は、
今までと同じ。
そこに集う、まだ見ぬ彼らと一緒に、
そして、
今まで共に頑張ってきた野菜たちと一緒に、
引き続き、農を紡いでいきたいと思います。
引越しが完了しましたら、
タイトルを変更の上、
ブログを再開しようと思いますので、
よろしかったら、またご覧いただけたらと思います。
毎回、長ったらしい文にもかかわらず、
今までお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。
2016年09月20日
道の先にあるもの
大豆や、稲などなど、
現在、田畑で、生を繋ぐべく頑野菜たちが頑張っていますが、
そんな野菜たちより一足先に、
その役目を終えた、キュウリや、スイカたち。
今年も、彼らのいのちを頂きながら、
無事、自家採種を終えることができました。
今年初めて、うちの畑に根を下ろしたキュウリを除くと、
彼らとは、はや10年のつき合いとなります。
全て固定種とはいえ、
その間、ちょっとずつ形質を変えたりしながら、
ここ小堀谷の風土に根差し、生き抜いてきた彼らたちと、
一緒に歩いてきた年月。
振り返ると、彼らたちからはもちろん、
同じ地に暮らす、生き物たち、
そして、日々移ろう里山の風景からも、
たっくさんのものや、こと、
感性をもらってきたように思いますが、
その根底にあるのは、
恒に、
”生を次代へと繋ぐ”ということ。
このために、ただただ、
この目的を達成するだけのために、
みんな生きている、ということ。
そして、それを大元で支えているのが、
植物の、野菜の、
生を次代へと繋ぐ行為。
もし、彼らが、次代へと生を繋ぐ、
という、その行為をやめた瞬間、
全ての動物も、もちろん、私たち人間も
生きていくこと、
次代へと生を繋ぐことができなくなります、
種子は、発芽を放棄し、
育つことを放棄することになるわけですから。
田畑の主役は、
野菜や、草花、集う生き物たちであって、
私は、黒子なんだと、
あらためてそう思います。
とまあ、
そんなこんなの10年でしたが、
自分の思い、考え、感性にうそをつくことなく、妥協することなく、
ただただ正直に歩んでいくことを、道を究めていくこととするならば、
まだまだ、私は、道半ばではありますが、
求める、その道の彼方に見えかくれするものは、
どんどん、シンプルに、ピュアに、
そう、道自体が、原点に向かっているような、
そんな感じがしています。
自然と共生し、共存し、
彼らの裏方となりながら、採って、食べる。
人類が、いにしえの時代から、
ごくごく、当たり前のこと、普通のこととしておこなってきた、
農の原点。
人間社会では、登記という名目上、
私のものということになっている田畑、
でも、実のところは、
本当の持ち主である地球から、自然から、間借りしている田畑で、
自然体で一歩一歩、
この道を、彼らと一緒に歩んでいこうと思います、
道の先にあるものを楽しみに。
(キクイモの花。人の背丈よりも高く育った茎の先に、花をつけます。)
現在、田畑で、生を繋ぐべく頑野菜たちが頑張っていますが、
そんな野菜たちより一足先に、
その役目を終えた、キュウリや、スイカたち。
今年も、彼らのいのちを頂きながら、
無事、自家採種を終えることができました。
今年初めて、うちの畑に根を下ろしたキュウリを除くと、
彼らとは、はや10年のつき合いとなります。
全て固定種とはいえ、
その間、ちょっとずつ形質を変えたりしながら、
ここ小堀谷の風土に根差し、生き抜いてきた彼らたちと、
一緒に歩いてきた年月。
振り返ると、彼らたちからはもちろん、
同じ地に暮らす、生き物たち、
そして、日々移ろう里山の風景からも、
たっくさんのものや、こと、
感性をもらってきたように思いますが、
その根底にあるのは、
恒に、
”生を次代へと繋ぐ”ということ。
このために、ただただ、
この目的を達成するだけのために、
みんな生きている、ということ。
そして、それを大元で支えているのが、
植物の、野菜の、
生を次代へと繋ぐ行為。
もし、彼らが、次代へと生を繋ぐ、
という、その行為をやめた瞬間、
全ての動物も、もちろん、私たち人間も
生きていくこと、
次代へと生を繋ぐことができなくなります、
種子は、発芽を放棄し、
育つことを放棄することになるわけですから。
田畑の主役は、
野菜や、草花、集う生き物たちであって、
私は、黒子なんだと、
あらためてそう思います。
とまあ、
そんなこんなの10年でしたが、
自分の思い、考え、感性にうそをつくことなく、妥協することなく、
ただただ正直に歩んでいくことを、道を究めていくこととするならば、
まだまだ、私は、道半ばではありますが、
求める、その道の彼方に見えかくれするものは、
どんどん、シンプルに、ピュアに、
そう、道自体が、原点に向かっているような、
そんな感じがしています。
自然と共生し、共存し、
彼らの裏方となりながら、採って、食べる。
人類が、いにしえの時代から、
ごくごく、当たり前のこと、普通のこととしておこなってきた、
農の原点。
人間社会では、登記という名目上、
私のものということになっている田畑、
でも、実のところは、
本当の持ち主である地球から、自然から、間借りしている田畑で、
自然体で一歩一歩、
この道を、彼らと一緒に歩んでいこうと思います、
道の先にあるものを楽しみに。
(キクイモの花。人の背丈よりも高く育った茎の先に、花をつけます。)
2016年08月13日
夏の畑に生きる!
ここ10日ほど、雨が降らなく、
また、気温もかなり高かったので、
畑の野菜たちや、野良の草たちは、
日中、葉をしおれさせながら、ひたすら耐えているのですが、
天気予報によると、今日は、夕方以降、
久しぶりの雨マーク。
もっとも、夕立は気まぐれであり、
また、降ってもピンポイントなので、
ここに降るかわからないのですが、
いずれにせよ、
野良の住民たちが待ち望んでいることは、
間違いなくて。
曇り始めた空を見上げながら、
天気予報通りになってくれないかな~、
なんて、思いつつ、
これまた、久方ぶりのブログを書いています。
うちでは、育苗時には潅水するものの、
畑に定植して以降は、
日照りがどれだけ続こうが、
どれだけしおれようが、
決して水をあげません。
20年ほど前、
祖父の田畑を借りて百姓をしていた頃は、
夏場、畑の野菜たちに潅水することが日課と化していましたが、
潅水する理由が、収量(金銭的収入)をあげることにあること、
それは、つまり、
潅水しなければ採れるはずのなかった、いわば、形だけの空虚な野菜を、
お金のために、かけがえのない”食”として消費者に提供していることであり、
そこに違和感を感じ始めてから、潅水に疑問を持ち始めて。
(ほんと、自分で、厄介で、ばかだな~と思います、ははは)
そして、また、野菜たちも、
この地で暮らす、野良の草木たちと何ら変わらない、
同じように生を繋ぐ、同じ生き物である以上、
同じ気象条件のもとで暮らすことがあたりまえのことなんだ、
つまり、雨のないときに、水が降るなんて不自然なことなんだ、
ということにも気づいた7、8年前から、
畑での潅水をやめ、今に至ります。
この地に引っ越して来た10年ほど前から、
野菜は、全て固定種で、全て自家採種をしているのですが、
そんな私の方針が嫌だという野菜、
つまり、潅水してくれなきゃ嫌だ!、
肥料をたくさんくれなきゃ嫌だ、
こんな土地、こんな畑に暮らすのは嫌だ!、
という野菜も、いくつかおりました。
で、そのような野菜は、
いくらお金になっても、
栽培をやめてきましたが、
それは、
私は、田畑や、野菜の裏方、黒子である以上、
嫌だと言っている主役を、
裏方に過ぎない私の都合でこの地に縛ることなんてできないからですし
そもそも、
嫌だといっている土地に無理やり暮らさせることは、
彼らにとって、苦痛以外の何物でもないと思うから。
そんなわけで、
栽培する野菜の種類も、
当初と比べると大分減りましたが、
今残っている野菜は、
そんな田畑を舞台に、精いっぱい生き、
精いっぱい生を繋いできた野菜たち。
この地で、同じ時間を共に歩いてきた、
同じ生き物として、
私の中には、
野菜と人間という枠を超えた絆のような、
そんな感情があります、
もっとも、彼らは私のことを、
どのように思っているかはわからないのですが、
ははは。
蝉がにぎやかな夏の里山、
様々ないのちが集う田畑にて、
生を次代へと繋ぐため、
彼らは今を、精いっぱい頑張っています。
(明日14日は、「ビオあつみ」さんにて、いつも通り、百姓市が開かれますが、
私は、お盆にて、出店できません・・・。
次々回の28日は、出店させていただきますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。
なお、28日は、うちの大麦で作った、自家焙煎の麦茶の試飲を計画していますので、
こちらも、お楽しみにどうぞ♪)
(裏の畑、柿の枝に咲くフウラン)
また、気温もかなり高かったので、
畑の野菜たちや、野良の草たちは、
日中、葉をしおれさせながら、ひたすら耐えているのですが、
天気予報によると、今日は、夕方以降、
久しぶりの雨マーク。
もっとも、夕立は気まぐれであり、
また、降ってもピンポイントなので、
ここに降るかわからないのですが、
いずれにせよ、
野良の住民たちが待ち望んでいることは、
間違いなくて。
曇り始めた空を見上げながら、
天気予報通りになってくれないかな~、
なんて、思いつつ、
これまた、久方ぶりのブログを書いています。
うちでは、育苗時には潅水するものの、
畑に定植して以降は、
日照りがどれだけ続こうが、
どれだけしおれようが、
決して水をあげません。
20年ほど前、
祖父の田畑を借りて百姓をしていた頃は、
夏場、畑の野菜たちに潅水することが日課と化していましたが、
潅水する理由が、収量(金銭的収入)をあげることにあること、
それは、つまり、
潅水しなければ採れるはずのなかった、いわば、形だけの空虚な野菜を、
お金のために、かけがえのない”食”として消費者に提供していることであり、
そこに違和感を感じ始めてから、潅水に疑問を持ち始めて。
(ほんと、自分で、厄介で、ばかだな~と思います、ははは)
そして、また、野菜たちも、
この地で暮らす、野良の草木たちと何ら変わらない、
同じように生を繋ぐ、同じ生き物である以上、
同じ気象条件のもとで暮らすことがあたりまえのことなんだ、
つまり、雨のないときに、水が降るなんて不自然なことなんだ、
ということにも気づいた7、8年前から、
畑での潅水をやめ、今に至ります。
この地に引っ越して来た10年ほど前から、
野菜は、全て固定種で、全て自家採種をしているのですが、
そんな私の方針が嫌だという野菜、
つまり、潅水してくれなきゃ嫌だ!、
肥料をたくさんくれなきゃ嫌だ、
こんな土地、こんな畑に暮らすのは嫌だ!、
という野菜も、いくつかおりました。
で、そのような野菜は、
いくらお金になっても、
栽培をやめてきましたが、
それは、
私は、田畑や、野菜の裏方、黒子である以上、
嫌だと言っている主役を、
裏方に過ぎない私の都合でこの地に縛ることなんてできないからですし
そもそも、
嫌だといっている土地に無理やり暮らさせることは、
彼らにとって、苦痛以外の何物でもないと思うから。
そんなわけで、
栽培する野菜の種類も、
当初と比べると大分減りましたが、
今残っている野菜は、
そんな田畑を舞台に、精いっぱい生き、
精いっぱい生を繋いできた野菜たち。
この地で、同じ時間を共に歩いてきた、
同じ生き物として、
私の中には、
野菜と人間という枠を超えた絆のような、
そんな感情があります、
もっとも、彼らは私のことを、
どのように思っているかはわからないのですが、
ははは。
蝉がにぎやかな夏の里山、
様々ないのちが集う田畑にて、
生を次代へと繋ぐため、
彼らは今を、精いっぱい頑張っています。
(明日14日は、「ビオあつみ」さんにて、いつも通り、百姓市が開かれますが、
私は、お盆にて、出店できません・・・。
次々回の28日は、出店させていただきますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。
なお、28日は、うちの大麦で作った、自家焙煎の麦茶の試飲を計画していますので、
こちらも、お楽しみにどうぞ♪)
(裏の畑、柿の枝に咲くフウラン)
2016年06月21日
”超”農繁期、後半戦へ
麦刈りの終わった田んぼに水を入れ、
代を掻き、今年も、
田植えの準備が完了!
うちの田植えは、
昔ながらの?手植えなので、
田んぼに、等間隔で印をつけた綱を張り、
それに沿って苗を植えた後、
その目印の苗を頼りに、
こんな感じで、苗を植えていきます。
ただ、机上では、狂いがないのですが、
実際には、綱の張り方次第で、
目印の間隔がずれてしまうので、
どうしても誤差が生じることに。
(田植え自体は、誤差が生じてもかまわないのですが、
そのあとの、除草下駄を使った草取り作業のとき、困ることになります。)
というわけで、
3枚ある田んぼの、田植えが終わった1枚目の田んぼは、狭いので、
誤差が生じなかったのですが、
現在田植え中の、2枚目の田んぼは、
例年のごとく、誤差が発生。
以前は、なんで誤差が生じたのかわからなく、
畦に立って、かんちゃんと、
あーでもない、こーでもないと、
白熱した議論?を展開したわけですが、
そんなことを議論している間に、
植えていった方が早いと悟り、
今に至ります(ははは)。
とまれ、田植えは、
今ちょうど、折り返し地点。
夏野菜の苗も、庭先から畑へと、
大分旅立っていきましたが、
ナスや、モロヘイヤなど、
苗箱の中で待機中のものがいますので、
彼らを畑へと送り出したら、
とりあえず、一段落となります。
中盤から、後半へと差し掛かってきた、
毎年恒例の”超”農繁期。
身体に気を付けながら、
家族3人で、頑張っていこうと思います♪
あっとちなみに、先ほどの写真。
手前の、
手拭いを姉さんかぶり?しているのが、
ヌウ。
幼稚園のころかな~、
いぜれにせよ、この時は、まだ小さかったので、
私や、かんちゃんと、一緒に植えていたのですが、
中学生になった今では、
1人で植えています。
この当時と比べ、
身体も態度もでかくなったヌウですが(ははは)、
田植えをしながら、
オタマジャクシや、カエル、水生昆虫と遊ぶのは、
今も変わらず。
機械を使えば、簡単に終わる田植えも
手植えとなると、なかなかの重労働ですが、
でもでも、
手植えだからこそ得られるもの、感じるものが、
たっくさんあるように思います、
私にとっても、ヌウにとっても。
様々なことを、知識としてだけではなく、
自分の目で見て、自分の手で触って、自分の心で感じながら、
育っていってくれたらうれしいな~、
と思います♪
代を掻き、今年も、
田植えの準備が完了!
うちの田植えは、
昔ながらの?手植えなので、
田んぼに、等間隔で印をつけた綱を張り、
それに沿って苗を植えた後、
その目印の苗を頼りに、
こんな感じで、苗を植えていきます。
ただ、机上では、狂いがないのですが、
実際には、綱の張り方次第で、
目印の間隔がずれてしまうので、
どうしても誤差が生じることに。
(田植え自体は、誤差が生じてもかまわないのですが、
そのあとの、除草下駄を使った草取り作業のとき、困ることになります。)
というわけで、
3枚ある田んぼの、田植えが終わった1枚目の田んぼは、狭いので、
誤差が生じなかったのですが、
現在田植え中の、2枚目の田んぼは、
例年のごとく、誤差が発生。
以前は、なんで誤差が生じたのかわからなく、
畦に立って、かんちゃんと、
あーでもない、こーでもないと、
白熱した議論?を展開したわけですが、
そんなことを議論している間に、
植えていった方が早いと悟り、
今に至ります(ははは)。
とまれ、田植えは、
今ちょうど、折り返し地点。
夏野菜の苗も、庭先から畑へと、
大分旅立っていきましたが、
ナスや、モロヘイヤなど、
苗箱の中で待機中のものがいますので、
彼らを畑へと送り出したら、
とりあえず、一段落となります。
中盤から、後半へと差し掛かってきた、
毎年恒例の”超”農繁期。
身体に気を付けながら、
家族3人で、頑張っていこうと思います♪
あっとちなみに、先ほどの写真。
手前の、
手拭いを姉さんかぶり?しているのが、
ヌウ。
幼稚園のころかな~、
いぜれにせよ、この時は、まだ小さかったので、
私や、かんちゃんと、一緒に植えていたのですが、
中学生になった今では、
1人で植えています。
この当時と比べ、
身体も態度もでかくなったヌウですが(ははは)、
田植えをしながら、
オタマジャクシや、カエル、水生昆虫と遊ぶのは、
今も変わらず。
機械を使えば、簡単に終わる田植えも
手植えとなると、なかなかの重労働ですが、
でもでも、
手植えだからこそ得られるもの、感じるものが、
たっくさんあるように思います、
私にとっても、ヌウにとっても。
様々なことを、知識としてだけではなく、
自分の目で見て、自分の手で触って、自分の心で感じながら、
育っていってくれたらうれしいな~、
と思います♪
2016年04月29日
新しい仲間たち♪
鍾乳洞脇の桜が散り、
畑のキウイが咲き始めるようになると、
里山は、
春から、初夏の様相へと模様替え。
柿や、お茶の新芽の淡い緑が、
晩春の里山を、軽やかに彩っています。
今日は、風の強い一日でしたが、
穏やかな日には、
縁台に腰かけながら景色を眺めるひと時が、
とってもここちよい、この季節。
コゲラかな~、
まだ見たことがないので、わかりませんが、
木立から聞こえてくる、
そんなキツツキの木をたたくドラミングを聞くともなしに聞いていれば、
なんだか、そのまま夢の中へと、
とろけてしまいそうな雰囲気にもなるのですが、
あれこれと、野良仕事が待っているので、
残念ながら、
そういうわけにもいかず(ははは)。
里芋の植え付けや、夏野菜の播種などなど、
これから一年かけて、次代へと生を繋いでいく彼らの裏方となって、
集う生き物たちと一緒に、田畑で暮らしていくための仕事が、
野良仕事であり、百姓仕事。
今年一年もまた、
彼らと苦楽を共にしながらと思うわけですが、
そんな彼らに、
今年は、新顔が仲間入り♪
インゲン豆と、赤米です。
インゲン豆は、先日播種を終え、
今、畑の土の中で目覚めているころかな~、
赤米は、バケツの水の中で、
これも、そろそろ、
目覚めているころでしょう。
両者とも、初めての環境なので、
戸惑うことも多いでしょうが、
なんとか、頑張って、
生を繋いでくれたらと思います♪
あっと、ちなみに、
新顔の赤米は、毎年うちの田んぼで生を繋いでいる赤米とは別の、
登呂遺跡から発掘?された、
弥生時代の赤米。
種もみが少量なので、
これから、2、3年かけて、
段々と増やしていこうと思うのですが、
食べれるくらいまで増えたら、
この赤米で、”ろくさん”を仕込みたいと、
今から、夢見ている次第。
卑弥呼も飲んだかもしれない”ろくさん”を傾けながら、
春の宵、地虫の声をバックに、
いにしえに思いを馳せるのまたいいものでしょうね~。
”捕らぬ狸のなんとやら”ではないですが(ははは)、
いまから、とっても楽しみです♪
(少し前に撮った、白菜の菜花。
いのちのすべてを、種子にそそぎ、種子に思いを託し、
白菜は静かに、その一生を終えていきます。)
畑のキウイが咲き始めるようになると、
里山は、
春から、初夏の様相へと模様替え。
柿や、お茶の新芽の淡い緑が、
晩春の里山を、軽やかに彩っています。
今日は、風の強い一日でしたが、
穏やかな日には、
縁台に腰かけながら景色を眺めるひと時が、
とってもここちよい、この季節。
コゲラかな~、
まだ見たことがないので、わかりませんが、
木立から聞こえてくる、
そんなキツツキの木をたたくドラミングを聞くともなしに聞いていれば、
なんだか、そのまま夢の中へと、
とろけてしまいそうな雰囲気にもなるのですが、
あれこれと、野良仕事が待っているので、
残念ながら、
そういうわけにもいかず(ははは)。
里芋の植え付けや、夏野菜の播種などなど、
これから一年かけて、次代へと生を繋いでいく彼らの裏方となって、
集う生き物たちと一緒に、田畑で暮らしていくための仕事が、
野良仕事であり、百姓仕事。
今年一年もまた、
彼らと苦楽を共にしながらと思うわけですが、
そんな彼らに、
今年は、新顔が仲間入り♪
インゲン豆と、赤米です。
インゲン豆は、先日播種を終え、
今、畑の土の中で目覚めているころかな~、
赤米は、バケツの水の中で、
これも、そろそろ、
目覚めているころでしょう。
両者とも、初めての環境なので、
戸惑うことも多いでしょうが、
なんとか、頑張って、
生を繋いでくれたらと思います♪
あっと、ちなみに、
新顔の赤米は、毎年うちの田んぼで生を繋いでいる赤米とは別の、
登呂遺跡から発掘?された、
弥生時代の赤米。
種もみが少量なので、
これから、2、3年かけて、
段々と増やしていこうと思うのですが、
食べれるくらいまで増えたら、
この赤米で、”ろくさん”を仕込みたいと、
今から、夢見ている次第。
卑弥呼も飲んだかもしれない”ろくさん”を傾けながら、
春の宵、地虫の声をバックに、
いにしえに思いを馳せるのまたいいものでしょうね~。
”捕らぬ狸のなんとやら”ではないですが(ははは)、
いまから、とっても楽しみです♪
(少し前に撮った、白菜の菜花。
いのちのすべてを、種子にそそぎ、種子に思いを託し、
白菜は静かに、その一生を終えていきます。)
2016年04月01日
旅立ちの春
裏山のワラビもそこここに顔をのぞかせるようになり、
また、
畑のキウイや、柿の新芽もほころび始めるなどなど
冬の間、内に秘めていたいのちの鼓動を、
みんな一斉に、一気に、
解き放ったよう。
今日は、
大好きな、そぼ降る雨の午前中となっていますが、
そんな雨に煙るように咲く、
鍾乳洞脇の老桜が、
いのちの鼓動にあふれる春の里山を、
穏やかに彩っています。
少し前のことになりますが、
今年の春は、
うれしいことが幾つかあって。
詳細を書きだすと、みなさんを、
長文にお付き合いさせてしまうことになり、
加えて、
自分も、思い出し涙&鼻水で、
ティッシュを無駄使いしてしまうことになるので、
省きますが(ははは)、
ヌウが、無事小学校を卒業できたこと、
そして、
家庭教師を務めさせていただきながら、2年間一緒に勉強してきた子が、
志望高校に合格できたこと、
本当に、うれしくて♪
ヌウは中学生、
そして、彼女は高校生と、
それぞれ、新しい一歩を踏み出すことになり、
そしてそれは、
山もあれば、谷もあることを意味することでもあると思うのですが、
時には笑いながら、また、時には涙しながら、
明るく前向きに、楽しく歩いていってくれたらと願っています。
また、
畑のキウイや、柿の新芽もほころび始めるなどなど
冬の間、内に秘めていたいのちの鼓動を、
みんな一斉に、一気に、
解き放ったよう。
今日は、
大好きな、そぼ降る雨の午前中となっていますが、
そんな雨に煙るように咲く、
鍾乳洞脇の老桜が、
いのちの鼓動にあふれる春の里山を、
穏やかに彩っています。
少し前のことになりますが、
今年の春は、
うれしいことが幾つかあって。
詳細を書きだすと、みなさんを、
長文にお付き合いさせてしまうことになり、
加えて、
自分も、思い出し涙&鼻水で、
ティッシュを無駄使いしてしまうことになるので、
省きますが(ははは)、
ヌウが、無事小学校を卒業できたこと、
そして、
家庭教師を務めさせていただきながら、2年間一緒に勉強してきた子が、
志望高校に合格できたこと、
本当に、うれしくて♪
ヌウは中学生、
そして、彼女は高校生と、
それぞれ、新しい一歩を踏み出すことになり、
そしてそれは、
山もあれば、谷もあることを意味することでもあると思うのですが、
時には笑いながら、また、時には涙しながら、
明るく前向きに、楽しく歩いていってくれたらと願っています。
2016年03月08日
”手前”醤油作り♪
あれは、まだ、
会社に勤めていたころのこと。
当時、
海にほど近い場所にあった一軒家を借りて、
かんちゃんと、幼いヌウの3人で暮らしていたのですが、
将来的には、百姓をしようと考えていたので、
自家採種もかねて、
小さな庭を畑化し(ははは)、
様々な野菜を育てていました。
(ちなみに、今うちの畑で生を繋いでいる、落花生や、赤大豆などは、
その当時からのつき合いとなります♪)
また、
百姓になれば、その気さえあれば、
様々な食品の原料となる野菜や、穀類をそだて、
それらを使って、”手前”食品を作ることができますので、
そこも視野に、
まずは、練習の意味も込めて、
色々な原料を買ってきては、
色々な食品作りをしてきました。
で、そんな食品作りにおいても同様、
持ち前の楽観主義が発動し、
すこぶる簡単に考え、やってきたのですが、
当然というか、必然というか、
その代償は、数々の失敗と、
それに伴う、かんちゃんのお小言。
そんな数々の失敗を糧にし、
エジソンの、あの名言をよりどころに、
かんちゃんのお小言は、何とかスルーしながら(ははは)、
色々な食品を手作りできるようになっていったのですが、
その最後に残っていたのが、
醤油。
醤油は、まず、
大豆と小麦で麹を作り、
それを、塩水と合わせて、
長期間、発酵させていくわけなのですが、
この麹作りが、米麹を作るときと違って難しく、
また、長期間にわたる発酵の間、
頻繁に手入れをしなくてはいけないなど、
技術、手間、時間、その全ての面で、
頂点に君臨するといってもいい、
”キングオブ手前食品”。
(私的には、の話ですが。)
で、もちろん?、
その頂に何度か挑戦したわけですが、
その都度、遭難し、
また、
かんちゃんのお小言も、スルーできない暴風雪レベルにまで達したので、
あえなく、断念・・・。
ところが、それから5、6年たった1昨年の秋ごろ、
こうしたらうまくいくんじゃないか?、
という方法が、不意に頭に浮かび、
加えて、
かんちゃんの醤油作りに対するアレルギーも、
大分、収束していたこともあって、
再度挑戦することに!
で、途中、
案の定、遭難しかけたものの、
今回は、
何とか踏みとどまることができ、ついに登頂成功♪
ほんとは、”もろみ”をしぼって醤油にして、
初めて、成功となるのですが、
昨年仕込んだ、そして、手間をかけてきた、
その記念すべき”もろみ”を、この前、ひと舐めしたところ、
これが、醤油を超えた醤油といった感じで(なんのこっちゃ、ですね、ははは)、
ほんとにおいしくて♪
あと1年寝かせ、
都度、手をかけていこうと思うのですが、
まあ、あとは、気を付けて下山し、
フィニッシュ、といった感じかな。
もっとも、
登山は、下山時が一番危ない、
という話を聞いたこともあるのですが、
ははは。
繰り返しになりますが、
記念すべき”もろみ”の初しぼりは、
来年の今頃を予定。
無事しぼれたら、
そのときは、もちろん、
うちのニワトリたちの卵と、炊き立てのご飯で、
卵かけごはんにしようと思います♪
今から、ほんとに楽しみです♪
(無事出来上がった、醤油麹。
今日、仕込みを終えたので、これから、2年間、都度、手入れをしながら、
発酵、熟成していくことになります♪)
会社に勤めていたころのこと。
当時、
海にほど近い場所にあった一軒家を借りて、
かんちゃんと、幼いヌウの3人で暮らしていたのですが、
将来的には、百姓をしようと考えていたので、
自家採種もかねて、
小さな庭を畑化し(ははは)、
様々な野菜を育てていました。
(ちなみに、今うちの畑で生を繋いでいる、落花生や、赤大豆などは、
その当時からのつき合いとなります♪)
また、
百姓になれば、その気さえあれば、
様々な食品の原料となる野菜や、穀類をそだて、
それらを使って、”手前”食品を作ることができますので、
そこも視野に、
まずは、練習の意味も込めて、
色々な原料を買ってきては、
色々な食品作りをしてきました。
で、そんな食品作りにおいても同様、
持ち前の楽観主義が発動し、
すこぶる簡単に考え、やってきたのですが、
当然というか、必然というか、
その代償は、数々の失敗と、
それに伴う、かんちゃんのお小言。
そんな数々の失敗を糧にし、
エジソンの、あの名言をよりどころに、
かんちゃんのお小言は、何とかスルーしながら(ははは)、
色々な食品を手作りできるようになっていったのですが、
その最後に残っていたのが、
醤油。
醤油は、まず、
大豆と小麦で麹を作り、
それを、塩水と合わせて、
長期間、発酵させていくわけなのですが、
この麹作りが、米麹を作るときと違って難しく、
また、長期間にわたる発酵の間、
頻繁に手入れをしなくてはいけないなど、
技術、手間、時間、その全ての面で、
頂点に君臨するといってもいい、
”キングオブ手前食品”。
(私的には、の話ですが。)
で、もちろん?、
その頂に何度か挑戦したわけですが、
その都度、遭難し、
また、
かんちゃんのお小言も、スルーできない暴風雪レベルにまで達したので、
あえなく、断念・・・。
ところが、それから5、6年たった1昨年の秋ごろ、
こうしたらうまくいくんじゃないか?、
という方法が、不意に頭に浮かび、
加えて、
かんちゃんの醤油作りに対するアレルギーも、
大分、収束していたこともあって、
再度挑戦することに!
で、途中、
案の定、遭難しかけたものの、
今回は、
何とか踏みとどまることができ、ついに登頂成功♪
ほんとは、”もろみ”をしぼって醤油にして、
初めて、成功となるのですが、
昨年仕込んだ、そして、手間をかけてきた、
その記念すべき”もろみ”を、この前、ひと舐めしたところ、
これが、醤油を超えた醤油といった感じで(なんのこっちゃ、ですね、ははは)、
ほんとにおいしくて♪
あと1年寝かせ、
都度、手をかけていこうと思うのですが、
まあ、あとは、気を付けて下山し、
フィニッシュ、といった感じかな。
もっとも、
登山は、下山時が一番危ない、
という話を聞いたこともあるのですが、
ははは。
繰り返しになりますが、
記念すべき”もろみ”の初しぼりは、
来年の今頃を予定。
無事しぼれたら、
そのときは、もちろん、
うちのニワトリたちの卵と、炊き立てのご飯で、
卵かけごはんにしようと思います♪
今から、ほんとに楽しみです♪
(無事出来上がった、醤油麹。
今日、仕込みを終えたので、これから、2年間、都度、手入れをしながら、
発酵、熟成していくことになります♪)
2016年02月23日
手前麹作り♪
”三寒四温”という言葉が、
大分当てはまるようになってきた今日この頃、
文字通り、”寒”の日もありますが、
”温”の日には、暖かい日差しの中、
裏の、花盛りの花桃の木は、
花粉や蜜を求めてやってきた、
様々な訪花昆虫たちで、にぎわっています。
そんな陽気に誘われて、
眠りから覚めたんでしょうね~、
昨晩には、
林道を横断中のヒキガエルを発見。
他の蛙とは違う、、
堂々とした落ち着き払った姿勢で、
風格すら漂わせながら、
道路の真ん中に、でんと構えていました。
あっと、ちなみにですが、
ヌウは、このヒキガエルが大好き♪
ヒキガエルは、
大きなものになると、人の手のひら2つ以上の大きさになるのですが、
そんな大きなものから、小さなものまで、
野良で見かけると、
必ず手に取って、遊んでいます。
ヒキガエルにとっては大迷惑だと思うのですが、
あのゆったりとした動作で、
しばし、ヌウに、お付き合い。
今年も、ヒキガエルを手に乗せて、
輝いた目と笑顔で私のところに見せに来るヌウの姿が、
見れそうです♪
さてさて、今日は、
米麹作り。
例年と同じように、
うちの米を蒸し、
そこに、購入した麹菌をつけていきます。
あとは、”室”の中に入れ、
途中、何度か手入れをしながら、
3、4日ほど、温度を保つと、
真っ白な米麹の出来上がり♪
そんな、できたてほやほやの米麹を使って、
手前味噌を仕込んだり、
家族3人大好きな、”むふふ”を仕込んだりしていくことになります。
で、それらの仕込みがすべて終わった後、
昨年に引き続き、
今年も、醤油麹を作り、
手前醤油を仕込む予定。
昨年仕込んだ”手前醤油”を、
この前、”もろみ”ごと味見してみたのですが、
これが、なかなかの出来栄え♪
1年たったので、もう絞れるのですが、
2年熟成させてから絞ろうと思っているので、
手前醤油が、食卓に上るのは、
ちょうど、来年の今頃。
手前味噌同様、
毎年仕込んでいくつもりなので、
来年以降は、
手前醤油も継続して使えそうです。
もっとも、
順調に、うまくいったら、の話ですが、
ははは。
そんな醤油麹作りの模様は、
また、日記に書こうと思いますので、
興味のある方は、
ぜひ、ご覧くださいね♪
大分当てはまるようになってきた今日この頃、
文字通り、”寒”の日もありますが、
”温”の日には、暖かい日差しの中、
裏の、花盛りの花桃の木は、
花粉や蜜を求めてやってきた、
様々な訪花昆虫たちで、にぎわっています。
そんな陽気に誘われて、
眠りから覚めたんでしょうね~、
昨晩には、
林道を横断中のヒキガエルを発見。
他の蛙とは違う、、
堂々とした落ち着き払った姿勢で、
風格すら漂わせながら、
道路の真ん中に、でんと構えていました。
あっと、ちなみにですが、
ヌウは、このヒキガエルが大好き♪
ヒキガエルは、
大きなものになると、人の手のひら2つ以上の大きさになるのですが、
そんな大きなものから、小さなものまで、
野良で見かけると、
必ず手に取って、遊んでいます。
ヒキガエルにとっては大迷惑だと思うのですが、
あのゆったりとした動作で、
しばし、ヌウに、お付き合い。
今年も、ヒキガエルを手に乗せて、
輝いた目と笑顔で私のところに見せに来るヌウの姿が、
見れそうです♪
さてさて、今日は、
米麹作り。
例年と同じように、
うちの米を蒸し、
そこに、購入した麹菌をつけていきます。
あとは、”室”の中に入れ、
途中、何度か手入れをしながら、
3、4日ほど、温度を保つと、
真っ白な米麹の出来上がり♪
そんな、できたてほやほやの米麹を使って、
手前味噌を仕込んだり、
家族3人大好きな、”むふふ”を仕込んだりしていくことになります。
で、それらの仕込みがすべて終わった後、
昨年に引き続き、
今年も、醤油麹を作り、
手前醤油を仕込む予定。
昨年仕込んだ”手前醤油”を、
この前、”もろみ”ごと味見してみたのですが、
これが、なかなかの出来栄え♪
1年たったので、もう絞れるのですが、
2年熟成させてから絞ろうと思っているので、
手前醤油が、食卓に上るのは、
ちょうど、来年の今頃。
手前味噌同様、
毎年仕込んでいくつもりなので、
来年以降は、
手前醤油も継続して使えそうです。
もっとも、
順調に、うまくいったら、の話ですが、
ははは。
そんな醤油麹作りの模様は、
また、日記に書こうと思いますので、
興味のある方は、
ぜひ、ご覧くださいね♪
2016年02月07日
春の訪れ
今年に入ってからというもの、
大分冬らしい感じになり、
雪の日もあったわけですが、
ここにきて、日差しが、だいぶ柔らかくなってきたように感じて。
もちろん、日々の最低気温は、
真冬のそれであり、
里山の風景も、また、
真冬のそれではあるのですが、
今まで影も形もなかった春の姿が、おぼろげにみえてきたような、
そんな感じ。
そんな感じを、
野良の生き物たちもまた、感じているんでしょうね~、
日当りのいい山裾には、
フキノトウが、
顔をのぞかせるようになってきました。
見かけると、
ああ、もう春はすぐそこなんだな~、
と感じる、早春の風景でもあり、
また、
我が家の食卓に上る早春の味覚でもあるフキノトウ。
色々な食べ方があると思うのですが、
うちでは、もっぱら、
フキノトウ味噌にして食べています。
炊き立てのご飯に、
これを少し乗せて、口に入れれば、
フキノトウの香りとほろ苦さ、それに、味噌の風味が広がり、
それはそれは、おいしいもの♪
他の山菜と同じく、
フキノトウも採りすぎると、
だんだん減っていってしまうので、
適当に残しながら、
今年も、かんちゃんに頼んで作ってもらうことにします。
もっとも、フキノトウ味噌が食卓に上れば、
体力を使う野良仕事がほとんどない冬なのに、
ご飯が止まらないという事態におちいり、
というわけで、
体重計の針もまた、とまらないという連鎖が、
今年も、繰り返されることが確実なので、
ちょっぴり、複雑な心境ではあるのですが、
ははは。
大分冬らしい感じになり、
雪の日もあったわけですが、
ここにきて、日差しが、だいぶ柔らかくなってきたように感じて。
もちろん、日々の最低気温は、
真冬のそれであり、
里山の風景も、また、
真冬のそれではあるのですが、
今まで影も形もなかった春の姿が、おぼろげにみえてきたような、
そんな感じ。
そんな感じを、
野良の生き物たちもまた、感じているんでしょうね~、
日当りのいい山裾には、
フキノトウが、
顔をのぞかせるようになってきました。
見かけると、
ああ、もう春はすぐそこなんだな~、
と感じる、早春の風景でもあり、
また、
我が家の食卓に上る早春の味覚でもあるフキノトウ。
色々な食べ方があると思うのですが、
うちでは、もっぱら、
フキノトウ味噌にして食べています。
炊き立てのご飯に、
これを少し乗せて、口に入れれば、
フキノトウの香りとほろ苦さ、それに、味噌の風味が広がり、
それはそれは、おいしいもの♪
他の山菜と同じく、
フキノトウも採りすぎると、
だんだん減っていってしまうので、
適当に残しながら、
今年も、かんちゃんに頼んで作ってもらうことにします。
もっとも、フキノトウ味噌が食卓に上れば、
体力を使う野良仕事がほとんどない冬なのに、
ご飯が止まらないという事態におちいり、
というわけで、
体重計の針もまた、とまらないという連鎖が、
今年も、繰り返されることが確実なので、
ちょっぴり、複雑な心境ではあるのですが、
ははは。
2016年01月08日
初卵!
あけまして、おめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
年が明けて大分たってしまってからのご挨拶となってしまい、
なんだか、
今さら感満載のような気もしないわけではないのですが、
大目に見てもらえることを勝手に信じつつ、
今年最初のブログを書こうと思います。
ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、
昨年春ごろの日記で、
今まで飼っていた鶏が死んでしまったこと、
そして、
新たにヒナを6羽購入し、再び、
鶏飼いを始めたことを書きました。
で、彼女たち、
すくすくと育っていたのですが、
夏に、鶏小屋にヘビが侵入し、
2羽が、食べられてしまい、
4羽になってしまいました。
それからは、鶏小屋にヘビが入ることもなく、
ヌウと野良に出ては、
ミミズや、虫、草などを食べながら、
大きく育って今に至るのですが、
どいうわけか、
なかなか卵を産まなくて。
通常だと、
生後5、6ヶ月ころから産み始めるそうなのですが、
うちの彼女たちは、
8ヶ月たっても産む様子がありません。
まあ、うちの場合、
ヌウの遊び相手になってくれたら、
というところが、鶏を飼い始めたきっかけなので、
そういった意味では、
彼女たち、十二分に、
頑張ってくれてはいるのですが、
そこは、”花より団子”のうちの家族のこと、
やっぱり、産みたての卵が食べたいな~、
なんて、思うわけでして。
卵を産む所は、
以前の鶏が使っていたものをそのままにしていたのですが、
気に入らないのかな、なんて思い、
板で箱を作り、新調してみたのですが、
やっぱり産まず。
挙句の果てには、
ヌウと、私、
卵を産まない子は、焼き鳥にしちゃうよ!、
なんて、はっぱ?をかけてはみたのですが、
もちろん、彼女たち、
そんなのどこ吹く風(ははは)。
相変わらず、野良で、
元気に遊ぶ姿を見ながら、
まあ、いつか産んでくれるだろう、
なんていう、
悟りの境地、もとい、あきらめの境地に達していたところ、
年が明けて、4日ほどたった、
午前中、
鶏小屋から、興奮した鳴き声が!
冬休み中のヌウと、
急いで鶏小屋に行ってみると、
木で作った箱の中に、卵が1つ♪
産みたての、そして、
初めて産んだ
温かい、温かい、初卵です。
ヌウは、鳴き声だけで、
4人が、もとい、4羽が分かるので、
先ほどの鳴き声から、産んだ子が分かったらしく、
えらかったね~、えらかったね~、
と、ほおずりしながら、抱きしめておりました。
で、その卵は、定番の、
卵かけごはんに♪
卵の匂いが全くしない、
野良で元気に遊ぶ彼女たちの、卵。
おしいいね~、
と言いながら、家族3人、
笑顔の食卓となりました♪
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
年が明けて大分たってしまってからのご挨拶となってしまい、
なんだか、
今さら感満載のような気もしないわけではないのですが、
大目に見てもらえることを勝手に信じつつ、
今年最初のブログを書こうと思います。
ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、
昨年春ごろの日記で、
今まで飼っていた鶏が死んでしまったこと、
そして、
新たにヒナを6羽購入し、再び、
鶏飼いを始めたことを書きました。
で、彼女たち、
すくすくと育っていたのですが、
夏に、鶏小屋にヘビが侵入し、
2羽が、食べられてしまい、
4羽になってしまいました。
それからは、鶏小屋にヘビが入ることもなく、
ヌウと野良に出ては、
ミミズや、虫、草などを食べながら、
大きく育って今に至るのですが、
どいうわけか、
なかなか卵を産まなくて。
通常だと、
生後5、6ヶ月ころから産み始めるそうなのですが、
うちの彼女たちは、
8ヶ月たっても産む様子がありません。
まあ、うちの場合、
ヌウの遊び相手になってくれたら、
というところが、鶏を飼い始めたきっかけなので、
そういった意味では、
彼女たち、十二分に、
頑張ってくれてはいるのですが、
そこは、”花より団子”のうちの家族のこと、
やっぱり、産みたての卵が食べたいな~、
なんて、思うわけでして。
卵を産む所は、
以前の鶏が使っていたものをそのままにしていたのですが、
気に入らないのかな、なんて思い、
板で箱を作り、新調してみたのですが、
やっぱり産まず。
挙句の果てには、
ヌウと、私、
卵を産まない子は、焼き鳥にしちゃうよ!、
なんて、はっぱ?をかけてはみたのですが、
もちろん、彼女たち、
そんなのどこ吹く風(ははは)。
相変わらず、野良で、
元気に遊ぶ姿を見ながら、
まあ、いつか産んでくれるだろう、
なんていう、
悟りの境地、もとい、あきらめの境地に達していたところ、
年が明けて、4日ほどたった、
午前中、
鶏小屋から、興奮した鳴き声が!
冬休み中のヌウと、
急いで鶏小屋に行ってみると、
木で作った箱の中に、卵が1つ♪
産みたての、そして、
初めて産んだ
温かい、温かい、初卵です。
ヌウは、鳴き声だけで、
4人が、もとい、4羽が分かるので、
先ほどの鳴き声から、産んだ子が分かったらしく、
えらかったね~、えらかったね~、
と、ほおずりしながら、抱きしめておりました。
で、その卵は、定番の、
卵かけごはんに♪
卵の匂いが全くしない、
野良で元気に遊ぶ彼女たちの、卵。
おしいいね~、
と言いながら、家族3人、
笑顔の食卓となりました♪
2015年12月31日
仕事納め
冬休みに突入したヌウに手伝ってもらいながら、
干しイモ作りに熱中していた?、ここ数日でしたが、
大みそかの今日は、
それでも、家周りの片づけや、
生け垣の剪定など、後回しにしていた仕事をするべく、
干しイモ作りは中断。
干しイモ作りの際、
小さな芋は、サツマイモが大好きなヌウにあげるのですが、
今日は、食べることができなくて、
ちょっぴり、残念そうでした、ははは。
が、鶏小屋の掃除や、
剪定した枝葉の片づけなどなど、
文句も言わず、頑張ってくれて♪
で、今は、ヌウ、
自分の机周りの掃除をしているわけですが、
そんな姿や、
私に、色々と世話を焼くようになった姿を見ると、
女の子らしく成長してるんだな~、
なんて、しみじみと思う次第。
もっとも、これからは、
ますます、世話を焼かれるようになっていくと思うので、
うれしいような、でも、悔しいような、
なんだか、複雑な心境ではあるのですが、
ははは。
とまれ、そんなヌウに手伝ってもらいながらの、
野良仕事、
今年も無事、仕事納めとなりました♪
来年もまた、色々なことがあると思いますが、
ありのままをあるがまま受け入れながら、
野菜たちや、田畑に集う野良の住民たちと一緒に、
一歩一歩、歩いて行こうと思います♪
なかなか、更新できなかったブログですが、
お付き合いくださり、
本当に、ありがとうございました。
来年も、どうぞ、
よろしくお願いいたします。
(大好きな、マロンと。先代のマロンと同じようにかわいがりながら、
ヌウ、毎日、野良で遊んで(遊んでもらって?)います♪)
干しイモ作りに熱中していた?、ここ数日でしたが、
大みそかの今日は、
それでも、家周りの片づけや、
生け垣の剪定など、後回しにしていた仕事をするべく、
干しイモ作りは中断。
干しイモ作りの際、
小さな芋は、サツマイモが大好きなヌウにあげるのですが、
今日は、食べることができなくて、
ちょっぴり、残念そうでした、ははは。
が、鶏小屋の掃除や、
剪定した枝葉の片づけなどなど、
文句も言わず、頑張ってくれて♪
で、今は、ヌウ、
自分の机周りの掃除をしているわけですが、
そんな姿や、
私に、色々と世話を焼くようになった姿を見ると、
女の子らしく成長してるんだな~、
なんて、しみじみと思う次第。
もっとも、これからは、
ますます、世話を焼かれるようになっていくと思うので、
うれしいような、でも、悔しいような、
なんだか、複雑な心境ではあるのですが、
ははは。
とまれ、そんなヌウに手伝ってもらいながらの、
野良仕事、
今年も無事、仕事納めとなりました♪
来年もまた、色々なことがあると思いますが、
ありのままをあるがまま受け入れながら、
野菜たちや、田畑に集う野良の住民たちと一緒に、
一歩一歩、歩いて行こうと思います♪
なかなか、更新できなかったブログですが、
お付き合いくださり、
本当に、ありがとうございました。
来年も、どうぞ、
よろしくお願いいたします。
(大好きな、マロンと。先代のマロンと同じようにかわいがりながら、
ヌウ、毎日、野良で遊んで(遊んでもらって?)います♪)
2015年12月14日
第2弾、超農繁期、終了!
うちで、
猫の手も借りたいほどの”超”農繁期といえば、
麦の収穫、夏野菜の定植、そして、田植えという、
大きな野良仕事が立て続けにやってくる、
6月ころのこと。
そんな、農繁期に超が付くほどの季節は、
例年だと、この6月だけなのですが、
今年は、少々?勝手が違い、
晩秋から、初冬にかけてのこの季節に、
2度目の超農繁期と遭遇する事態に。
稲や、豆類の脱穀、麦の播種、
そして、干し柿作りと、
例年は、これらの野良仕事の間に、
ある程度時間的な間隔というか、余裕があるのですが、
今年は、それらが、一気にやってきました。
その理由は、
11月の盛秋を思わせるような陽気と、
長雨。
脱穀にしても、麦の播種にしても、
曇天や、雨続きでは、できませんし、
干し柿作りにしても、また、しかり。
うちでは、
干し柿作りに防カビ剤などは使わず、
ただただ、包丁で皮をむいて、
軒下に吊るすだけなので、
温度が高く、湿度もまた高いと、
吊るした柿が、
かびてしまいます。
とはいえ、
熟した柿は、吊るせないので、
吊るせる限界に来た柿を採って、剥いて吊るしてみたのですが、
そんな、今年最初の干し柿は、
すべてかびてしまって・・・。
とまあ、
そんなこんなで、気は焦りつつ、
でも、
吊るしていいよ~、と木の上で言っている柿の声に耳をふさぎ、
播いてほしいな~、なんて言っている麦の声も、
泣く泣く、聞こえないふりをしていたわけですが、
先日、なんとか、全ての作業が終了。
柿剥きや、小豆の脱穀など、
ヌウにも夜遅くまで手伝ってもらいながらの、
季節外れの超農繁期でした。
早苗饗ではないですが、
また、ヌウの大好きな、豚すき焼き&牡蠣なべを作って、
頑張ってくれたヌウをねぎらいつつ、
日本酒でも、ちびちびやりたいと思います、
ははは。
(軒下に連なる、干し柿の列。
今年は、たくさん実ったので、1500個ほど吊るしました。)
猫の手も借りたいほどの”超”農繁期といえば、
麦の収穫、夏野菜の定植、そして、田植えという、
大きな野良仕事が立て続けにやってくる、
6月ころのこと。
そんな、農繁期に超が付くほどの季節は、
例年だと、この6月だけなのですが、
今年は、少々?勝手が違い、
晩秋から、初冬にかけてのこの季節に、
2度目の超農繁期と遭遇する事態に。
稲や、豆類の脱穀、麦の播種、
そして、干し柿作りと、
例年は、これらの野良仕事の間に、
ある程度時間的な間隔というか、余裕があるのですが、
今年は、それらが、一気にやってきました。
その理由は、
11月の盛秋を思わせるような陽気と、
長雨。
脱穀にしても、麦の播種にしても、
曇天や、雨続きでは、できませんし、
干し柿作りにしても、また、しかり。
うちでは、
干し柿作りに防カビ剤などは使わず、
ただただ、包丁で皮をむいて、
軒下に吊るすだけなので、
温度が高く、湿度もまた高いと、
吊るした柿が、
かびてしまいます。
とはいえ、
熟した柿は、吊るせないので、
吊るせる限界に来た柿を採って、剥いて吊るしてみたのですが、
そんな、今年最初の干し柿は、
すべてかびてしまって・・・。
とまあ、
そんなこんなで、気は焦りつつ、
でも、
吊るしていいよ~、と木の上で言っている柿の声に耳をふさぎ、
播いてほしいな~、なんて言っている麦の声も、
泣く泣く、聞こえないふりをしていたわけですが、
先日、なんとか、全ての作業が終了。
柿剥きや、小豆の脱穀など、
ヌウにも夜遅くまで手伝ってもらいながらの、
季節外れの超農繁期でした。
早苗饗ではないですが、
また、ヌウの大好きな、豚すき焼き&牡蠣なべを作って、
頑張ってくれたヌウをねぎらいつつ、
日本酒でも、ちびちびやりたいと思います、
ははは。
(軒下に連なる、干し柿の列。
今年は、たくさん実ったので、1500個ほど吊るしました。)
2015年11月09日
「小堀谷茶」蔵出しのお知らせ♪
木立をつたう、
山芋などのつる植物の葉が黄色く色づき、
ここ小堀谷の里も、盛秋から晩秋へと、
その装いを徐々に深めつつある今日この頃。
朝晩の冷え込みも日に日に増すようになり、
冬の足音がそこここに聞こえてくるようになりました。
今年は、夏が駆け足で過ぎていったような感があり、
というわけで、夏野菜や、稲にとっては、
なんだか物足りないような年になったようにも思うのですが、
なにはともあれ、
今年も、無事、生を繋ぐことに成功した彼ら。
野菜たちは、冷蔵庫”種室”で翌年の播種を夢み、
また、稲は、かけ場にて、
晩秋の里を彩っています。
さて、秋も深まりつつあるこの季節、
うちでは、毎年、
「小堀谷茶」の、新茶のシーズンを迎えます。
というわけで、今日は、
「小堀谷茶」の蔵出しのお知らせを♪
小堀谷(こぼりや)とは、
当集落の”字”。
住所名からは消えてしまいましたが、
地元の方々の間では、
現役の呼び名。
「小堀谷茶」とは、
そんな小堀谷の名を頂いた、
手摘み手揉みで、
機械を一切使わないで仕上げる、
うちのオリジナルの発酵茶です。
(風味は、紅茶に近いかな~。)
ここで、簡単に、
小堀谷茶の作り方を説明させていただきますと・・・。
まずは、5月に、
一番茶を手摘み。
摘んだ茶葉を屋外および、屋内にて、
萎凋させます。
いい感じに萎凋が進んだところで、
手揉みし、さらに、発酵。
発酵が完了した茶葉を、
鉄なべで炒りあげて、出来上がりとなるわけですが、
この時点だと、
香りと味に深みが伴わないような感じがするので、
ここから、蔵の中で熟成させます。
で、ひと夏を超え、
秋も深まりつつあるこの時期に、
蔵から出し、
新茶の販売を始めさせていただく、
といった感じ。
価格は、1000円(40g)になります。
ヌウと、かんちゃんと、私による、
最初から最後まで手作業で仕上げるお茶になりますので、
量は、ほんと少ないのですが、
里山に育つ自然仕立てのお茶が持つ、
優しくも深い、滋味や香りを、
よろしかったら、ぜひ、お楽しみいただけたらと思います♪
山芋などのつる植物の葉が黄色く色づき、
ここ小堀谷の里も、盛秋から晩秋へと、
その装いを徐々に深めつつある今日この頃。
朝晩の冷え込みも日に日に増すようになり、
冬の足音がそこここに聞こえてくるようになりました。
今年は、夏が駆け足で過ぎていったような感があり、
というわけで、夏野菜や、稲にとっては、
なんだか物足りないような年になったようにも思うのですが、
なにはともあれ、
今年も、無事、生を繋ぐことに成功した彼ら。
野菜たちは、冷蔵庫”種室”で翌年の播種を夢み、
また、稲は、かけ場にて、
晩秋の里を彩っています。
さて、秋も深まりつつあるこの季節、
うちでは、毎年、
「小堀谷茶」の、新茶のシーズンを迎えます。
というわけで、今日は、
「小堀谷茶」の蔵出しのお知らせを♪
小堀谷(こぼりや)とは、
当集落の”字”。
住所名からは消えてしまいましたが、
地元の方々の間では、
現役の呼び名。
「小堀谷茶」とは、
そんな小堀谷の名を頂いた、
手摘み手揉みで、
機械を一切使わないで仕上げる、
うちのオリジナルの発酵茶です。
(風味は、紅茶に近いかな~。)
ここで、簡単に、
小堀谷茶の作り方を説明させていただきますと・・・。
まずは、5月に、
一番茶を手摘み。
摘んだ茶葉を屋外および、屋内にて、
萎凋させます。
いい感じに萎凋が進んだところで、
手揉みし、さらに、発酵。
発酵が完了した茶葉を、
鉄なべで炒りあげて、出来上がりとなるわけですが、
この時点だと、
香りと味に深みが伴わないような感じがするので、
ここから、蔵の中で熟成させます。
で、ひと夏を超え、
秋も深まりつつあるこの時期に、
蔵から出し、
新茶の販売を始めさせていただく、
といった感じ。
価格は、1000円(40g)になります。
ヌウと、かんちゃんと、私による、
最初から最後まで手作業で仕上げるお茶になりますので、
量は、ほんと少ないのですが、
里山に育つ自然仕立てのお茶が持つ、
優しくも深い、滋味や香りを、
よろしかったら、ぜひ、お楽しみいただけたらと思います♪
2015年10月08日
最初のお米
「人生で一度きりのこと」、
というと、
人それぞれ、、色々な事を思い浮かべ、
またそれは、実際に、
一つではなく、あれも、これもと、
数え上げれば、結構な数に上ると思うのですが、
そんな、数ある「人生で一度きりのこと」のなかで、
食、そして、日本人とくれば、切っても切り離せないのが、
人生で初めて口にする、「お米」のこと。
母乳や、ミルクを離れ、
これから、何千回、何万回と口にするであろうお米の、
その最初の、一口のお米。
今春、お子さんが生まれた、
志を同じくする百姓仲間の方から、
いよいよ離乳食が始まるということで、
この子が口にする最初のお米は、ぜひ、うちのお米を食べさせてあげたい、
と、連絡をいただきました。
このブログをご覧になって下さっている方々は、
ご存じだと思うのですが、
うちの田んぼは、山間の棚田であり、
肥料を施用していないこともあって、
必然的に、単位収量が少なく、
また、
面積も、1反に満たないため、
総収量自体が少ないので、
赤米、黒米以外の、
うるち米と、もち米は、
全てが、自家用。
なので、販売させていただいたり、
お分けさせていただいたりすることは、ないのですが、
この子の最初に口にする、人生一度きりのお米だということ、
そして、そんなお米は、
うちのお米以外、思いつかなかったとまで、
おっしゃって下さった、ご両親。
少量で、本当に恐縮でしたが、
喜んで、喜んで、
お分けさせていただきました。
透き通るように軽やかな、野良を渡る風にゆれる、
彼岸花の紅。
そんな彼岸花の上、
同じ風の中を、思い思い、
吹かれつ、逆らいつ群れる、赤とんぼ。
夏を謳歌していた蝉たちの声も、
いつしか、遠くから、ぽつぽつと届くくらいとなった、
秋真っ盛りの里山、うちの棚田は、
そんなお米の子供たちが、
同じように、生を次代へと繋ぐべく、
ありのままをあるがまま、
その全てを受け入れながら、
精いっぱい、頑張っています。
(シソの実の塩漬けと、炊き立てご飯。
これだけで、ほんと、ご飯が何杯もいけてしまうほどのうまさです♪)
*少量ですが、10月11日の百姓広場にも持っていく予定ですので、
よろしかったら、ぜひ、どうぞ~♪
というと、
人それぞれ、、色々な事を思い浮かべ、
またそれは、実際に、
一つではなく、あれも、これもと、
数え上げれば、結構な数に上ると思うのですが、
そんな、数ある「人生で一度きりのこと」のなかで、
食、そして、日本人とくれば、切っても切り離せないのが、
人生で初めて口にする、「お米」のこと。
母乳や、ミルクを離れ、
これから、何千回、何万回と口にするであろうお米の、
その最初の、一口のお米。
今春、お子さんが生まれた、
志を同じくする百姓仲間の方から、
いよいよ離乳食が始まるということで、
この子が口にする最初のお米は、ぜひ、うちのお米を食べさせてあげたい、
と、連絡をいただきました。
このブログをご覧になって下さっている方々は、
ご存じだと思うのですが、
うちの田んぼは、山間の棚田であり、
肥料を施用していないこともあって、
必然的に、単位収量が少なく、
また、
面積も、1反に満たないため、
総収量自体が少ないので、
赤米、黒米以外の、
うるち米と、もち米は、
全てが、自家用。
なので、販売させていただいたり、
お分けさせていただいたりすることは、ないのですが、
この子の最初に口にする、人生一度きりのお米だということ、
そして、そんなお米は、
うちのお米以外、思いつかなかったとまで、
おっしゃって下さった、ご両親。
少量で、本当に恐縮でしたが、
喜んで、喜んで、
お分けさせていただきました。
透き通るように軽やかな、野良を渡る風にゆれる、
彼岸花の紅。
そんな彼岸花の上、
同じ風の中を、思い思い、
吹かれつ、逆らいつ群れる、赤とんぼ。
夏を謳歌していた蝉たちの声も、
いつしか、遠くから、ぽつぽつと届くくらいとなった、
秋真っ盛りの里山、うちの棚田は、
そんなお米の子供たちが、
同じように、生を次代へと繋ぐべく、
ありのままをあるがまま、
その全てを受け入れながら、
精いっぱい、頑張っています。
(シソの実の塩漬けと、炊き立てご飯。
これだけで、ほんと、ご飯が何杯もいけてしまうほどのうまさです♪)
*少量ですが、10月11日の百姓広場にも持っていく予定ですので、
よろしかったら、ぜひ、どうぞ~♪