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2015年08月17日

農と収量

梅雨明け以降、

これぞ、夏!、

といった天気が続き、

というわけで、畑の土は、カラカラ状態が続いていたわけですが、

このところ、夕立や、

今日のような雨の日が、時折あったおかげで、

野菜たちや、野良の生き物たちの表情が、

大分、いきいきしてきたように感じて♪



もちろん、

ギンギラ太陽の独壇場の日中は、

みんな、葉をしおらせ、

ひたすら耐えているのですが、

そんな太陽が、やがて、杉木立の向こうへと沈んでいき、

ヒグラシの蝉時雨となるころには、

背をぴんと伸ばし、葉を広げ、

昼間の姿がうそのように、生気にあふれています。



そして、

昼間は、葉の裏や、草陰などに避難していたんでしょうね~、

バッタや、芋虫などなども姿を現し、

あるものは、夕涼み?をし、

また、あるものは、一心不乱に食欲を満たしたりと、

葉っぱの上は、様々ないのちが集う、

゛オアシス”のような感じ。



もっとも、そこは、

一見すると、穏やかな空気が流れているように映るわけですが、

実際は、食う食われるの、

緊迫した空気が流れる世界。



そんな、それぞれが、唯我独尊的にしのぎを削る、

限りなく自己中心的考えが支配する世界、

でもその実、全体として見れば、

実に丸く、穏やかに結ばれている自然という世界で、

彼らは、生を次代へと繋ぐ、その唯一絶対の目的のために、

毎日、頑張っています。





以前、祖父のもとで、

百姓を教えてもらっていた頃のこと。



夏、畑で、

葉をしおれさせ、ぐたっとなっている野菜たちに、

水をあげることは、収量を上げることにおいて、

ごく当たり前のことであり、

そこに何の疑問も持たなかったので、

夏場は、毎日のように用水路から水を上げ、

どの野菜にも、潅水していました。



で、祖父のもとを離れ、

肥料会社に数年就職したのち、脱サラし、

右も左もわからなかったこの地に引越し、

再び、農の道に入って、今に至るわけですが、

この地で、農を始めるようになってから、

畑の野菜への水やりは、

たとえ、どんなに水をほしがっていても、一切しなくなりました。



それは、

水をあげるということは、つまり、

雨でもないのに、水が降ってくるということであり、

本来、ありえないことだと、

気が付いたから。



そして、

水をあげないこと、

つまり、ありえないことはしないということは、

野菜たちにとっても、

そして、そんな野菜を食べる、私たち人間や、虫たちにとっても、

さらには、取り巻く環境にとっても、

様々な負荷を減らすことになる、繋がるのではないだろうか、

と考えるようになったから。

(現在、畑を耕していないことや、肥料を自給していることなども、同じ理由です。)




たとえば、キュウリを1株栽培したとして、

栽培時に水をあげなかった場合、

キュウリが5本採れたとします。



これは、

つまり、その年の自然条件下、土壌条件下、とりまく環境条件下で、

彼らが、精いっぱい頑張った、

MAXの結果。



ところが、栽培時に

水をあげることにより、

7本採れたとします。

(過湿の場合を除き、野菜は水をあげることにより、収量が、あがります。)



この、差し引きの2本分は、

水をあげたことにより採れた分なので、

本来採れるはずではなかった分、

ということになります。



つまり、

その野菜が持つ、その土が持つ、その環境が持つ、

キャパシティー以上のものを、人が求め、

人為的に手を施した結果、

2本、という、

本来採れるはずのなかった分を手にできたことになります。



それは、言ってみれば、

本来の生命力ではない、過保護な環境の下で育った、

極論、

”姿、形ばかりの作物”ということに。



このように考えると、

そんな姿、形ばかりの作物は、

農薬をまくことにより、さらにプラスされ、

肥料をふんだんに与えることにより、さらにプラスされ、

耕起することによっても、

各種、農業資材や、農業技術を使うことによっても、また、

さらにプラスされ・・・。



収量、つまり、お金を追い求めるあまり、

何千年もの間、そうあり続けてきた

本来の、生命力あふれる野菜を、

本来の、あるべき野菜の姿を、

たった、この数十年の間に、

極論、失ってしまっているように、

今、感じています、

農業が”業”に傾きすぎてしまっている以上、仕方のないこと、

必然の成り行きなのかもしれませんが。





現在、私は、

草取りはしますし、

材料は、全てうちの田畑でとれたものとはいえ、

肥料のようなものもやっています。



草取りすることによっても、

施肥することによっても、

収量が上がる以上、

そして、それが、お金につながることでもある以上、

今まで、書いてきたことは、詭弁なのではと思いますし、

そもそも、こんなことを書く資格がないということも、

重々理解しています。



でも、収量が少なくてもいい、

お金としての収入が少なくてもいい、

少しでも、人間の欲による負荷を減らしながら、

共生という、本来そうであった、

いのちが集いあふれる、そんな農に向け、

一歩一歩、地に足つけて歩いて行きたい、

と、心からそう思う次第。



田畑は、

人間だけのものでは、

決してないのですから。





農と収量

(オクラの葉の上で、夕涼み中?の、オンブバッタの子供)




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この記事へのコメント
とんちゃん、こんにちは。
久しぶりに小堀谷に行きたくなりました。
家は三方原用水が来ていることもあって作物によっては灌水は頻繁に行います。
何年か前に小堀谷に伺った時に耕さない方法の圃場を拝見して「これを取り入れるのは無理だな。」と思いましたが一部の圃場では畝を壊さないで2年目の作付けをしています。もしかすると何年か後に「灌水しない方がいいな。」と感じる時が来るかもしれません。
その時が楽しみです。
Posted by 川と田んぼの いのちのお米川と田んぼの いのちのお米 at 2015年08月18日 06:08
とんちゃん、久し振り♪

我が家の庭も、虫パラダイス(略して虫パラ)です。

花粉管の実験で使ったホウセンカには、
セスジスズメの幼虫。
クヌギには、巨大クチバスズメの幼虫。
そして、柿の木にはヒメクロイラガの幼虫が(@_@;)

先日、キアシナガバチの大きな巣を発見!
いつの間に…(^-^)ゝ

観察していると、あっという間に時間が経ちますね。
(^_^;)
Posted by rupi at 2015年08月18日 13:12
川と田んぼの いのちのお米さん

こんにちは。コメント下さり、ありがとうございます! 私も、以前は、農薬と、化学肥料だけは使わなかったものの、それ以外の農業資材であったり、F1品種などを、もう、なんの疑問もなく、ごく普通に、農に取り入れていました。それが、野菜や、土など、彼らの見せる表情が段々と理解できてくるにつれ、それらのことに疑問を持つようになり、というわけで、あれもやめ、これもやめしながら、気が付いたら、今のような農になっている、といった感じ。もっとも、それと引き換えに、金銭的な収入は減り、そして、それに伴い、かんちゃんの小言は増加しているわけなのですが、ははは。
潅水したり、耕したり、肥料をあげたりすることは、収量的にプラスになっていくと思うのですが、それを続けることにより、いつしか、その畑は、そして、その畑に育つ野菜は、そういったことをしてあげないと生きていけないようになっていくような、そんなふうに感じています。もちろん、それは、いいとか、悪いとかではないのですが、私としては、野菜は、もともとは、野の菜なので、できるだけ、人間の都合をおさえた畑で、様々な生き物たちと共生しながら、できるだけ自然に生きているころの生命力をもった野菜を育てていきたいと思っています♪
忙しい毎日だとは思いますが、こちらは、山の中ゆえ、多少は涼しいと思いますので、ご都合のよろしいときは、涼みがてら、ぜひ、お越しいただけたらと思います。楽しみにお待ちしています♪
Posted by とんちゃんとんちゃん at 2015年08月18日 14:25
rupiさん

こんばんは、お久しぶりです♪ この季節は、おっしゃる通り、ほんと、たっくさんの虫たち、生き物たちであふれていますね♪ そして、これまた、ほんと、おっしゃるとおり、観察していると、時間があっという間に過ぎていって。昨日も、雨の合間に様子を見に行った畑にて、ヨトウムシの幼虫を追いかけているゴミムシを発見。当たり前のように?、観察会となったわけですが(ははは)、気が付いたら、結構な時間がたっていて(笑)。子供のころ夢中になって読んだ、ファーブル昆虫記にて、彼が、フンコロガシの後を這いつくばりながら、ひたすら追いかけていったことと同じようなことを、私も今しているんだな~、なんて思うと、なんだか、とってもうれしくなって♪ もっとも、彼の虫たちにそそいだ情熱には、私なんて、及ぶべくもないわけですが。
あっと、そうそう、ハチといえば、現在、我が家の納屋の軒下に、キイロスズメバチが営巣中。この蜂の巣は、もともと、田んぼの石垣の間にあったわけですが(田んぼの草取りの時に発見)、手狭になったんでしょうね~、今のところに、引越しした模様。引越しした時には、旧の巣にまだ幼虫がいたと思うので、その幼虫は、どうなっちゃうのかな~、なんて思い、ことあるごとに観察しているのですが、どうやら働き蜂が通って世話をしている模様。もう、引っ越してからしばらくたつので、当時の幼虫も蛹化、羽化し、旧巣の残りの幼虫はかなりすくなくなっているんでしょうね~、世話をする働き蜂の数もめっきり減りました。で、軒下の巣は、現在、日に日に、大きくなって。この前まで、ソフトボールくらいでしたが、今では、バレーボールくらいに。
初冬、彼女たちが、次代へと生を託す新女王が、この巣を離れるころには、巣がどのくらいの大きさになっているか、とっても楽しみです♪
Posted by とんちゃんとんちゃん at 2015年08月18日 21:04
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